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* 図や画像の翻訳・転載はしていません。元記事をご参照ください。 原文:http://m.sisainlive.com/news/articleView.html?idxno=21341 「イルベ論文」を書いた研究者とデータ基盤コンサルティング会社の協力を得てイルベの姿を立体的に照らした。目立つイルベのコードは「無賃乗車」と「父親」だった。騒がしくも反社会的な表現方式はサイトの特性から起因した。 シーン1。(*2014年)9月6日土曜日、ソウル光化門広場のセウォル号断食抗議場の前にインターネットコミュニティ「日刊ベスト保存所(イルベ)」の会員が大勢集まっている。ここで彼らはセウォル号遺族の断食を嘲る「暴食闘争」を行い、「イルベ認証」の指ジェスチャー(指でㅇㅂの字を描く)をしながら愛国歌を歌った。イルベ会員達はこの日を「906光化門大捷」と呼んで誇った。 この日、彼らが見せてくれたのはルーザーの感受性ではなかった。あの日の情緒は間違いなく自負心と興奮だった。イルベのウェブサイトは光化門大捷の武勇伝の書き込みであふれた。 シーン2。セヌリ党ハ・テギョン議員はイルベのことで連日Facebookに複雑な心境を吐露した。9月12日には「闘争方式を常識的かつ健全な方式に変えてください。そうすれば私達も共にします」と書いた。イルベから見られる形式と中身を切り分け、形式の極端性を削ぎ落とすことで内容を活かしていこうという意味である。 (9月13日「セウォル号特別法反対集会」で一人の参加者が女性の裸体写真をスマートフォンに写しながら踊っている。彼が持っている人形はイルベのマスコット「ベチュン」である。) シーン3。今年(*2014年)8月にソウル大学社会学科にてイルベ研究で修士号を取得したキム・ハクジュン氏は研究のためにイルベ会員達との深層インタビューを行った。彼はインタビューをするたびに深い印象を受けた。「まず一つ、とても人当たりの良い性格をしている。現実ではいじけている'キーボードウォリアー'ではなく、言うべきことをちゃんと言いながらも実に礼儀正しい青年達が次々と現れた。二つめ、皆して父親のことをよく話す。10代の頃から父を尊敬し、影響を受けたという話が多い。全般的に人生の態度がとても順応的だ」 少数者への嫌悪、正義、自負心、内容と形式の乖離、そして順応主義。イルベを説明するキーワードを一つにまとめると混乱を感じる。『SisaIN』はイルベ研究者キム・ハクジュンさんとデータ基盤戦略コンサルティング会社トリウムの助けを得て、これまで断片的にだけ知られていたイルベの姿を立体的に照らした。 一つ目の質問は、輿論に衝撃を与えた「光化門大捷」から始めざるを得ない。ルーザー・負け犬と見なされていた者たちはどのようにしてこれほど強い自負心を見せ付けることができただろうか。 無賃乗車論を前面に出した「イルベ式の正義具現」 真っ先に打ち砕かれる通念がある。イルベがマイノリティへの嫌悪発言だけであふれる、脈絡も一貫性もないゴミ箱という通念である。分析結果、イルベはそれなりの予測可能な論理体系と正義観念を備えていた。まずは彼らが共有する前提を受け入れ、その論理を追ってみよう。 下の<図1>はイルベ利用者達が共有する論理体系を図式にしたものである。片方の軸にはイルベの「主敵達」が鎮座する。大きく分けて三つである。女性、進歩・改革陣営、そして湖南である。韓国社会で少数派に分類できる者達である。 イルベの立場から見た場合、女性・進歩・湖南が共有する特徴は「権利と義務の不一致」である。義務は果たさず権利は過剰に要求する。女性はデート費用を払わず男にタカり、進歩は自分の能力で成功する代わりに国家にダダをこね、湖南は徒党を組んで不正を働く。文脈は異なるが、北朝鮮も南韓の支援は受けながら南韓への義務は果たさない存在である。彼らは全て大韓民国という国家が成功してきた歴史にあまり寄与していないという共通点を持つ。イルベから見ると彼らは2等市民となる。 国家建設の主役は男性・産業化勢力・嶺南であり、そのため彼らが大韓民国の主流となった。つまり、「寄与した分だけ見返りをもらった」。ところが女性・進歩・湖南が非主流の権利を主張して、寄与した分よりも多くの見返りを要求する。 そのために女性・進歩・湖南が用いる戦略が「ダブルスタンダード」と「ダダこね」。少数派に非合理的勢力との烙印を押すイルベの常套句だ。イルベは「お前達が行うパク・クネ嘲弄は風刺なのに、我々が行うノ・ムヒョン嘲弄はなぜ非常識だというのだ?」と問い返す。「能力さえあれば住み良い社会である大韓民国」において、集会・デモは能力のない者達のダダこねであると見なされる。 女性と進歩と湖南はダダをこねて過剰な見返りを得る勢力である。これで2等市民は特権層に様変わりした。義務なくして権利を手にする「無賃乗車」である。一方、兵役と納税の義務を果たして誠実に体制の要求に従う1等市民は、突如として不当に権利を奪われた犠牲者となった。 イルベの思考体系において、自分達の嫌悪と嘲弄は少数者嫌悪ではなく無賃乗車嫌悪である。社会全体に害をなす無賃乗車を懲罰するという「強い正当さ」を共有している。これはイルベ利用者達が社会の非難に耳を貸すことなく光化門広場に立つことができた動力となった。 具体的な事例から確認してみよう。セウォル号の遺族はイルベが攻撃しやすい対象ではない。彼らが家族を失う過程を全国民がリアルタイムで目撃した。莫大な感情移入と共感のエネルギーが存在する。しかしイルベはセウォル号の遺族を相手に戦線の転覆を試みる。 そのためには、まず「特権」、すなわち、過剰な補償というレッテルを貼る理由が必要になる。遺族の意思と関係なく、イルベは大学特例入学と補償金問題を執拗に提起する。これで攻撃の標的である「特権」が生まれた。この構図において遺族は「交通事故をネタに大韓民国の足を引っ張る無賃乗車者」になる。 比較対象としてイルベは天安艦の遺族を掲げる。彼らこそが「資格のある犠牲者」でありながらセウォル号の遺族より遥かに補償が少なかった被害者である。軍人の補償体系と民間人の補償体系が異なるという事実を無視すれば(普通はそのような重大な違いを無視してはいけないが)「セウォル号の遺族の無賃乗車」と「天安艦の遺族の犠牲」というストーリーが完成する。 イルベにとってこの構図は日常である。イルベが執拗に攻撃の対象にする5・18の扱い方も同様だ。イルベは5・18犠牲者の遺族が「国家の補償で贅沢をしている」と主張しつつ、その反対側に「くず拾いの韓国戦争犠牲者の遺族」を配置した。これで5・18遺族にも無賃乗車のレッテルがつく。「イルベ式の正義具現」の核心は、少数者が国家から受ける保護を執拗に追及し、彼らに無賃乗車者のレッテルを貼る過程にある。無賃乗車者であるという規定を一度されると、これはイルベの影響力を超える強い力を持ち得る。 イルベのコードが保守を誘惑する理由 金融業界で働いて退職した50代男性のチェ某氏は、2007年大統領選挙でイ・ミョンバク候補に、2012年大統領選挙でムン・ジェイン候補に投票した。インターネットに長い時間をかけない彼はイルベに入ってみたことすらない。しかし彼はセウォル号の遺族が話題になるとイルベと寸分違わぬ反応を示す。「特例入学とか補償金とかいうのはやりすぎじゃないのか?断食をしているユミンのパパとかいう人は離婚して養育費もまともに渡してないそうだが」一般的な壮年層が言いがちなことである。ここに流れる核心的な文脈は、資格のない者達が受け取る過剰な補償、つまり無賃乗車の文脈である。 イルベに入ったことすらない50代の中道層にまでイルベの論理が入り込んだと解釈するなら、影響力を過大評価しすぎることになる。それよりは無賃乗車への嫌悪というコードが、イルベと関係なく幅広い共感を得る力を持っているという解釈の方に説得力がありそうだ。中道層としては感情の消耗が大きいセウォル号への感情移入から抜け出したいところに、ちょうどよい非常口となったのだろう。 グループワークで何の寄与もせずに同じ単位をもらおうとする大学生。貧しいサラリーマンをあざ笑う高所得専門職の脱税者。自分の冠婚葬祭はしつこく知らせるが、他人の冠婚葬祭は気にしない友人。部下の企画書に自分の名前を載せる上司…。人は無賃乗車を前にすると、他人事であっても怒るものだ。 韓国特有の情緒というわけではない。1976年アメリカ共和党大統領候補選出の際、4年後に大統領となるロナルド・レーガンは世界的に有名な無賃乗車ストーリーを掲げた。何十種類もの偽りの身元を作り、福祉の恩恵を受け尽くしてキャデラックを乗り回す黒人女性を、レーガンは「福祉の女王」と揶揄した。 福祉の女王の無賃乗車ストーリーと自然につながる減税公約は、レーガンを再選させることにまで寄与した。後日、福祉の女王は実在していない人物であることが分かった。レーガンはずる賢くもこの福祉の女王を「黒人」の「女性」に設定し、少数者に無賃乗車のレッテルを貼るイルベの得意技を40年以上前にやってのけている。 無賃乗車への嫌悪という文脈が世界中で猛威を振るう理由は、人間の自然な道徳感情と正義感に基づく怒りをもたらすためだ。社会心理学者ジョナサン・ハイトは著書<正しき心>(*the righteous mind)において、「無賃乗車者から共同体を守ろうとする強い願い」は人間の本能であると主張している。 ハイトの見解では、無賃乗車への懲戒は共同体の生存に直結する。無賃乗車を放置すれば共同体のために協力する者が減り、社会構造が脅かされる(無賃乗車者が何人か出てくると、全員が手を抜くようになるグループワークのように)。そのため、私達は自分に被害があるときのみならず特に関わりがない場合でも、無賃乗車を目撃すると怒るように進化したというのがハイトの主張である。無賃乗車への嫌悪は共同体を守るための「正義の怒り」というわけだ。 社会の保護を受ける弱者は容易く無賃乗車者に見なされる。そのとき保守は「寄与した分だけ受け取るべきだ」と無賃乗車への懲戒の意志を表す傾向がある。一方、進歩は弱者に感情移入しつつ無賃乗車ではないという態度を示す。どちらも人間の自然な道徳感情である。 イルベから始まった論議が無賃乗車への嫌悪の文脈を経て、道徳・正義・公平という、とても似つかわしくないようなキーワードに到達した。イルベが真の威力を発揮する場面は、「寄与した分だけもらうべきだ」「無賃乗車を懲戒してこそ社会が維持される」という、保守的だが多数が共感できる普遍的な道徳感情に正確に触れる時である。(参照記事:「無賃乗車」を見る保守の目) セヌリ党のハ・テギョン議員はイルベの反社会的な表現形式と、それなりの一貫性を備えた論理体系を切り離すことが可能だと信じている。前者が持つ危険性に恐れをなしながらも、後者に魅力を覚える。イルベは無賃乗車への嫌悪という魅力的な武器を絶え間なく生産する優秀な軍需工場である。 しかし、このような「切り離し計画」がイルベを救う可能性は高くない。理由を知るには次の謎を解く必要がある。なぜイルベの利用者達は、あえて悪目立ちしすぎる反社会的な表現方式を選び、中道層にアピールできるはずの内容を無駄にしてしまうのだろうか。 爆発的進化のメカニズムがイルベの根源 イルベを研究した修士論文の著者キム・ハクジュンは、彼自身からして「ネット民」出身である。DCinsideが彼の「本陣」であり、イルベにもまた一般層に注目されるよりずっと前から出入りした。 キム・ハクジュンは2011年6月から2014年2月までの「日刊ベスト掲示物」33万個と「政治掲示板日刊ベスト」10万個を収集して分析した。実際のイルベ利用者10名を相手にA4紙300枚分量の深層インタビューも同時に進めた。彼はイルベ会員達とのインタビューで「イルベ方言」を自由自在に駆使して緊張感を和らげた。 彼が見るイルベの特徴は、一つ、インターネットユーモアサイトである。これはイルベがインターネット下位文化の伝統的なユーモアコードを受け継いでいるという意味である。二つ、イルベは大きいサイトである。同時接続者が2万名を超える超大型コミュニティだ。三つ、イルベのシステムは競争圧力がきわめて大きい。短時間に抽選を多く押されてこそ日刊ベスト掲示物になり、活動量と日刊ベスト掲示物が多ければレベルがアップする仕組みになっている。 この三つの特徴が組み合わさると、まさに爆発的な結果が出てくる(上の<図2>)。まず、インターネット下位文化の伝統的なユーモアコードであるいわゆる「地域ネタ」がイルベではすさまじいほどに「進化」する。イルベは「7時マルチ」(時計の方向に比喩して湖南を指す言葉)「パスポート」「ビザ」(光州旅行者に外国への入国と同じだということ)「ホンドゥホンドゥ」(嘲弄されて激怒する湖南人)などの「地域ネタ」を絶えず吐き出す。 「ノアラ」は本来、ノ・ムヒョン大統領を神のように信奉するとして嘲弄する言葉だった(ノ・ムヒョン+アラー)。この言葉がノ元大統領の顔をコアラに合成したイメージに「進化」し、これはまたノ元大統領の生前の肉声を合成して作ったリミックス曲の作成競争につながった。「ノムヒョンという遊びのネタを誰がもっと面白く扱えるのか」というゲームに参加した競争者達は、互いが互いを極端へと後押しした。 インタビューの過程でキム・ハクジュンがイルベ利用者達にノアラのコラ画像を言及してどんな感じがするのかと聞いたとき、ほとんどは「単純に笑える」という反応を示した。彼らにとっては何よりもギャグのネタなのである。「ノージェム(面白くないの意)」という反応はあったが、ノ・ムヒョンへの憎悪を示した者はいなかった。そのイメージがイルベの外の大衆にとってどれほど非常識に映るのかについての自覚もほとんどなかった。 ノ・ムヒョン元大統領とコアラを合成したイメージ(上)はイルベの代表的なネタである。多くのイルベ利用者がこのイメージについてユーモアであると答えた。 日刊ベスト掲示物になるにはより斬新に、刺激的に、意表をつかなければならない。そのために危険な冒険に出る利用者も出てくる。乳幼児が使う哺乳瓶工場で「女の乳が恋しいときに吸っている」と言いながら「イルベ認証」を行ったり、さらには5・18犠牲者の棺の写真を掲載して「ガンギエイの宅配」と笑う。爆発的な競争が生んだ極端の結果物が現実世界と出会ったとき、現実はその非常識さと反社会性に唖然となる。逆にイルベは現実世界の反応に首を傾げる。イルベの目から見ると、現実世界はイルベのアイデンティティである「ネタの文化」を理解もせずに、他人の遊び場に土足で踏み込んで説教をしてくる。イルベ用語で言うところの「糞ソンビ」である。 ユーモアサイト、流入人口、競争圧力という三拍子が揃った瞬間、爆発的な進化が起きた。表現の反社会性と極端性はイルベの構造に内在する属性に近い。保守の一部が期待するように、それだけを取り払う方法は事実上存在しない。 イルベの進化メカニズムはユーモアコードだけを極端まで進めたものではない。無賃乗車への嫌悪という鋭い刃もまた、この爆発的進化のメカニズムで極限まで研ぎ澄まされた。「真面目腐った書き込み」が日刊ベストの掲示物になるためには、保守と中道が共有する無賃乗車への嫌悪を簡潔かつ正確に刺激しなければならない。競争は無賃乗車嫌悪の「命中率」を際限なく高める。 爆発的進化メカニズムなくして、イルベが従来の談論生産能力を見せてくれる可能性は低い。極端性(反社会的表現)と典型性(保守の自然な道徳感情)。これはイルベの二面性のように見えるが、実は同じ根源から生まれた双子である。 9月13日付のある日刊ベスト掲示物では、イルベの表現方式が大衆に嫌悪感を与えるという問題で議論が行われた。あるコメントが、イルベのジレンマをイルベの言語で表現している。「本当にイルベがクリーンクリニルベになって保守層が集まれば無敵になるとは思うが、クリーンになるとノージェム(つまらん)ゆえに発展不可」(訳注:「ノージェム」はイルベ由来のネット語ではありませんが原文通りに訳しています) 「権威主義産業化の申し子が帰ってきた」 これまで私達はイルベ思考体系の最初の仮定、「少数者を特権層に様変わりさせる価値転倒」をとりあえず肯定した上で論議を進めてきた。その仮定を受け入れたとき、イルベがどのような論理に則って現在の姿になったかを再構成した。次は最後の謎を解く番である。イルベの青年達はなぜ少数者を特権層に様変わりさせる価値転倒を躊躇なく受け入れたのだろうか。彼らはなぜ少数者に感情移入する方ではなく嫌悪する方を選んだのか。トリウムの協力を得て、イルベ利用者の談論地図(下の<図3>)を描いてみた。 「父親-ソウルの軸が圧倒的ですね」トリウムのキム・ドフン代表の感想である。談論地図は「父親-ソウル」の軸がさながら京釜高速道路のように中心軸をなしていた。「この子達の面白いところは、父親の人生をほぼそのまま内面化しているところです。若いときは父親の権威に反抗しがちですが、そんなところがありません」ならソウルは何だろうか?「詳細分析を見ると、慶尙道で(談論地図では大邱)苦労して成長したお父さんがソウルに上京してきて安定的な生活を手に入れます。インタビューに応じた子達はその叙事を誇らしく思っており、踏襲したいと思っています」 気立ての良い(男性にタカりたがる「キムチ女」ではない)「カノジョ」にめぐり合い、「ソウル」に生活の基盤を築き、「家族」をなすという夢。インタビューをしたイルベ利用者のほとんどが望む未来像だった。インターネットでは極端な女性嫌悪を吐き出し、セウォル号の遺族の前では暴食闘争を行ったあのイルベなのかと思えるほどの平凡さ。キム・ハクジュンは論文で「平凡さがユートピアになる時代」という表現を使った。父親世代の「平凡な成功叙事」が特別になってしまった時代で、インタビューに応じたイルベ利用者達は「平凡さ」を勝ち取るために足掻く。苦しいから助けてくれと叫ぶわけにはいかない。それは無賃乗車である。 「長いものに巻かれろ」キム・ドフン代表が再び意見を述べた。「権威主義産業化時代の韓国社会を耐え抜いて生きた父親なら、おそらく体に刻み込まれた生存戦略でしょう。強者に抵抗したなら'苦労を経てソウルに定着する'成功を収める確率は低かったはずです。父親の世代が体得した生存戦略を息子が抵抗なく受け入れています。イルベとは何かを定義しろというなら、私の仮説はこうです。権威主義産業化時代の生存者の息子が、父親を正当に受け継いで帰ってきたのです」 「長いものに巻かれろ」戦略において、少数者に手を差し伸べて連帯することはタブーである。「国家-父親」への順応は少数者嫌悪への動力となる。キム代表の仮説が正しいとすれば、少数者嫌悪が先に来る。無賃乗車への嫌悪は正当化のために後付けされる。 こうしてイルベは極端な「構造音痴」になる。女性を阻むガラスの天井も、湖南への地域差別も、イルベの目には構造的な不利さではなく個人の努力不足に映る。社会構造レベルの有利/不利を認めないため、少数者に与える支援は権利ではなく無賃乗車となる。「構造音痴」の抗議が国家に向かうことはない。キム・ハクジュンは論文の最後に「イルベ利用者は近代の韓国体制が成功裏に生み出した最も都合の良い統治対象である」と結論付けた。
by hanrano
| 2015-07-17 05:49
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